神道における墓石。形や名前の付け方などを紹介。
墓石は、お墓のしるしですからそこに葬られている人の名前や没年などが彫られています。墓石がお墓に建てられるようになったのは、平安時代になってからといわれています。仏教の影響によって、公家や地方の豪族、高僧らが亡くなると供養塔や墓石としての五輪塔などが建てられるようになりました。庶民が墓石を建てる習慣が始まったのは戦国時代からといわれています。江戸時代以前のお墓は仏式によるものが主流でした。神道による神葬祭のお墓が建てられるようになったのは明治時代に入ってからのことです。政府の政策によって神葬祭が奨励されてからのことです。
これから、神道における墓石について説明していきます。
神道における墓石のはじまり
庶民が墓石を建てる習慣が始まったのは戦国時代からといわれています。江戸時代に入るとキリシタン対策のための寺請制度が設けられます。寺請制度とは、誰もが必ずどこかのお寺に所属しなければいけないという制度です。この制度により、人々の間には先祖に対する供養や葬儀、墓などの仏事が定着するようになりました。江戸時代に入って、庶民の間にも墓石の建立が普及した背景には、船で遠方の石材を運搬するのが可能になったこと、各地に石切り場が増えたこと、墓石などの石を墓石の形に細工したり、石に文字を彫刻する石工が増えたことなどで墓石の価格を安く手に入れることができるようになったことがあるようです。
明治時代に入ると、神仏分離政策により神道による神葬祭が奨励され、神道による墓石の建立が始まります。神仏分離政策とは、江戸時代までの神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教・神と仏・神社と寺院とをはっきりと区別させる政策です。
神道における墓石の形
墓石の形の種類は、大きく分けると和型、洋型、デザイン型になります。神道における墓石は仏式と共に和型に分類されます。基本的には、台石を二つ重ねた上に細長い石が乗る「三段墓」といわれる縦に長く、背が高い形です。頭頂部は角兜巾(かくときん)と呼ばれる先の尖った形になっています。ちょうどピラミットの形に似た三角錐の形です。この形は、神道でいわれる三種の神宝の一つである天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を模したともいわれています。神道では、霊は家の守り神であることから神器に似せた形をとっているのです。
神道だかといって、必ず神道式の形をした墓石を建てなければならないという決まりはありません。実際、仏式の形や洋型、デザイン型の形をした墓石も見受けられます。
仏式の墓石は、神道式と同じ三段墓ですが、頭頂部は平らになった形です。
洋型は、台石の上に横長の石が乗っている横に長く、背が低い形です。
デザイン型は、形式や固定観念にとらわれない、亡くなった人への想いを反映した突飛で斬新な形など様々です。
墓石は石材で建てられます。国産の石材では、御影石と呼ばれる花崗岩などが使われます。最近では、安い中国産などの海外の石材が出回っています。価格は、石材の種類やデザインなどで異なりますが、相場としては120万円から175万円といわれています。
神道における墓石には、何が彫刻されるか
墓石の正面には、「○○家奥津城」などと彫られます。神道では、お墓のことを奥津城・奥都城・奥城などと書きます。呼び方は、いずれも「おくつき」です。
墓石は、はじめ個人や夫婦のためのものでしたから、正面には個人の戒名が彫刻されていました。明治時代の中期以降に家制度が確立したことによって、家単位でお墓が建てられる習慣が定着し、家名が彫刻されるように変わってきました。
墓石の側面や裏面には、建立日・建立者・故人の諡号(しごう)・命日・年齢などが彫られます。諡号とは亡くなった人の死後の名前のことで、仏教でいう戒名にあたります。諡号の付け方には決まりがあります。正式には、幼児・少年・青年・成人・老年の区分ごとに、男性・女性別に付けられます。最近では、大人と子供を男性・女性別に分けて付けられることが多くなりました。基本的には、亡くなった人の名前の後に「命(みこと)」を付けます。そして名前と命の間に、大人の男性の場合には「大人(うしの)」、大人の女性の場合には「刀自(とじの)」、子供の男の子場合には「彦(ひこの)」、子供の女の子の場合には「姫(ひめの)」を書き加えます。墓石に刻む年齢は、数え年になります。
墓石とは別に墓誌を建て、そこに故人の諡号(しごう)・命日・年齢などを記す場合もあります。
まとめ
神道における墓石について、墓石の形や刻まれる文字について説明してきました。神道では、先祖の霊は家の守り神です。感謝の気持ちを忘れずに永く供養していきたいものです。