神道形式の葬式と神主の役割、葬儀、宮司、お礼、金額、封筒、50日祭
最近は神社に参拝する人が増えていると言われます。パワースポット、御朱印集め等きっかけや入口は人それぞれですが、そこから神道自体の考えや神道の行法、
所作等に深く傾倒する人もいます。そしてその延長線上に自分の葬式を神道形式でと考える人まで出始めております。
話は変わりますが、全国にはそれぞれに地域に葬儀社があり、亡くなられた方の葬儀を執り行っています。ネットが当たり前の現在、葬儀社も他の職種と同じように
自社のHPを開設し葬儀についてのあれこれを本当に事細かく説明して掲載しております。それらの中に神道形式の葬式「神葬祭」「50日祭」についての説明が掲載されています。
ただ、掲載されている内容を見ると葬式の説明、又は出席する場合の心得等が中心で身内として執り行う側についての説明は少ないといえます。
さらに式を執り行う神主の方への接し方、謝礼等についても詳しい説明は無いに等しいのが現状です。
そこで以下についてそのあたりを述べていきたいと思います。
神主とは?その名称の意味と神葬祭における役目
人が亡くなった時に行うのが葬式です。普段私たちが葬式と聞いてイメージするのは「仏教の教えや考えに基づいて行っている葬式」であり、分かり易く言うと「仏教形式の葬式」
です。「仏教の教えや考えに基づいて行っている葬式」があるのですから、当然神式「神道の教えや考え、作法に基づいて行う葬式」もあるのでは?と思います。
その答えとして、神道形式の葬式が存在しその名称を「神葬祭」と呼んでいます。つまり、神葬祭といわれた時は「神道形式の葬式」の事を言っていると思ってください。
さらなに、神道の施設や建物といえば神社です。神社には神主様がいます。で、その神主様と似たような意味で「宮司」「権宮司」「禰宜」「権禰宜」と言われる方がいます。
では、その違いは何でしょうか?
そもそも「神主」とは、神社で神に仕える神職の長で、中心になって神を祭り、祭儀、社務を行う代表的な役割を担う人のことをさした言葉でした。
そして現在では、神主と言うと「神職を行う人の総称として使われる言葉」になっています。神主には職階があり、「宮司」「権宮司」「禰宜」「権禰宜」はその階級名です。
神葬祭を進めるのは、厳密に言いますと「宮司」になります。「宮司」は神社の代表で、どの神社にも代表宮司が一人おられて、その神社が行う宗教儀式に責任を持つ立場を指します。
つまり、実際に葬儀の進行を行うのは「宮司」ですが、俗称でいうと「神主様」となるのです。
余談ですが、一般の人が神主になるための進学先は、三重県の皇學館大学か東京都の國學院大学の二つのみです。どちらかの大学で「神道」を学び、資格を取得すると階位を与えられます。
神主へのお礼について
式が滞りなく終了するとその感謝の気持ちとして神主さんへのお礼をお渡しします。仏式の場合お寺のご住職の方にお布施やお経料を納めます。これと同じ考えです。
神道の場合、御祭祀料(おさいしりょう)という名称で神社や宮司の方に納めます。神道の場合は、祭祀をしていただいたお礼の意味から謝礼としてお渡しするという考えです。
謝礼を入れる封筒は、白い封筒か不祝儀袋となります。中でも、不祝儀袋の表に柄のない白と黒(黄色と白)の水引きのみの物を使用するのが良いとされています。
金額の相場は、通夜祭から繰り上げの10日祭までが一連の葬儀祭で、相場は20万円~50万円で平均して30万円を謝礼としている人が多いとの資料があります。
但し、かなりの地域差があると言われています。あくまでも全国平均としての金額位に思ったほうが良いと思います。
また神道形式の場合精進落としを「直会」と言いますが、神主が直会に参加いただいた時は「お食事代」は必要ありません。
お渡しする時期は切手盆や袱紗に乗せて通夜祭に渡します。
「玉串料」との違い
神主に納める謝礼として「玉串料」という言葉を耳にしたことがあると思います。「御祭祀料」との違いは何でしょうか?「玉串料」では駄目なのでしょうか?
そもそも「玉串料」の玉串とは何でしょうか?
「玉串」とは、榊の木に「四手」「紙垂」(しで)という紙を麻で結んで下げたものです。
使用する木は榊だけでなく杉などの他の常緑樹を使うこともあり、紙の代わりに木綿をつけることもあります。神道では「玉串は、神様と人間を結び付ける橋渡しをするもの」とされ、
儀式のときに玉串を神様に捧げてお祈りをします。本来儀式で使うための玉串は自分で用意しなければなりませんでした。が、時代が進むにつれ一般家庭で榊の枝を用意するのが
難しくなったため、神社側が代わりに用意するようになりました。
そこから、玉串料というのは本来自分が用意する必要がある榊の枝をわざわざ神社側が用意してくれたことに対し、その分のお金と謝礼を合わせた金額を払います、という意味なのです。
以上の事から、神主にお渡しする謝礼としては同じですがその意味は全く違います。ちょっとしたことかもしれませんが、きちんと間違わずに使い分けましょう。